次の日の平日、彼から何の返事もなかった。可能性としては、①私の正体に気がついた、②どうでも良くなった、③優先順位が変わった・・・のどれかだろうと思った。だけど、取立て興味がなかった。それはそれで、どうなろうと仕方がないことのように思えたから。
おめでとうコールをもらえて、私はなんだかもう本当にどうでも良くなってしまった。諦められそうな気がした。少しだけ、客観的になれた気がした。早い話、気がすんだのだろうと思う。
それから丸一日、彼からのメールは来ていなかった。その日の夜、私は彼に渡せずにルーズリーフの巻頭に残されたままになっていた
手紙を手にとった。もし、彼にこの手紙を送っていたのなら、きっと彼はこのメールの相手がすぐに私だと気がついたことだろう。不思議と心穏やかに、私はその手紙を読み進めた。
・・・もう、わかったと思った。あの人は本当に我慢できなくて、とても焦っていて、人をことごとく信じない人だということがわかった。私でダメなんじゃなくて、誰でも多分、ダメなのだろう。この事実が得られただけでも、私にとってのメールの意味は大きかった。私にとっては。
手紙を読みながら、今さらながらに気がついた。私はあの人をずっと支えたかったらしいということ、私はあの人を助けたかったらしいということ。この2ヶ月、ずっとそう思っていたらしいということがようやく自分のこととして感じられた。でも、心の中では、幸せを望んでいるけれど、実際は何もできない私がいる。・・・否・・・何もさせてはもらえないのだろう。私たちの間には、もう、愛情のカケラも残ってやしないのだから。
ふぅ~と一つ、深呼吸をする。穏やかだと思う。こんなに穏やかに落ち着いて考えられる日がこれまであっただろうか・・・と回想する。・・・多分、なかった。いつも一生懸命で、いつも何かに追いたてられていて、いつもソワソワしてばかりいた。心配ばかりしていた。小さいことに心を痛めて、勝手に傷ついて、勝手に泣いて、勝手に自分を励ましていた。何もかも自分勝手なまま、何もかも一人称の世界で、何もかも・・・何もかも・・・背負おうとしていた。
人の孤独は癒せないと思う。自分の孤独も自分でしか癒せないんだから・・・と当たり前の結論に当たり前に頷き、しばらくボーっと今までの道のりを考えてみるのでした・・・(つづく)。