悲しくなりながらも、本業を黙々とこなす私。もうすることでしか、前に進めていない気がして、今まで以上に私は本業に励む毎日となる。そして、将来への道も、模索する。これからどうするべきか、どの道を志して行きべきか。もちろん、今、ここにいて、こうして本業に取り組んでいるのは、ある目標があったからだ。だけど、もうそろそろそれも達成されるような気がして、このままここにある延長線上の道を志すべく取り組んできたのだけれど、このままそうなってしまうのもなんかつまらない気がして、最近は自分の可能性を試してみようかなと考えたりしている。
私は、別にほしいものはない。特に、有名になりたいとも思わないし、何か大きなことをやってみたいということもない。お金持ちになりたいとも思わないし、大きな家に住みたいとか、すごい高級車に乗りたいとかもないし、ブランド品のこのNo.を手に入れたいというのもない。もちろん、女だから、そこそこおしゃれなものは身に付けたいと思うし、ブランド品の1つぐらいは欲しいとも思う。だけど、それだってそれなりに真面目に働けば得られるだろうと考えている。私は、代替可能なものとそうでないものを分けて考える所がある。代替不可能なものは、なかなか手に入らない。ある時期やあるタイミングを逃すと、それは多分、得られにくくなることだろう。私がほしいと思うものは、代替が難しいものだった。ここ10年、私はこの本業に取り組むことで得られるだろう何か以外は、痛切に欲しいと思ったものはない。それぐらい、私にとっての今はそれなりに思い入れのあるものだったし、多分、これに関して、私の中の人生設計からいけば、今を逃せば二度と手に入らないものだと思われた。彼は、私に夢はないといった。私は、何がほしいと聞かれれば、このことしか答えてこなかったし、それは私以外、あるいは私と同じような人たち以外は、それほど魅力あるものに映らないかもしれない。それがあるからって、一生食べていけるわけでも、職に困らないわけでも、何でもない。だから、こんなものを欲しがる私は夢がないと言われても仕方がないのかもしれないと思った。夢がない・・・か。夢ってなんなのだろう。少なくとも、彼の言う「夢」ってなんだったのだろうと思う。そして、大人になってからの夢ってどういうものなのだろうと思った。
本業に明け暮れながら、ずっと見ていなかったテレビを見たいと思って、少し早めに学校を出る私。私は夜に家に帰っても、テレビはつけない。寝室に直行する。寝室にはテレビがないし、何となく、テレビを見ることが疲れるのだ。気にいった音楽をかけて、バスタブのお湯がたまるまでの間、読書するのが私の日課。暇な時は、9時まで帰って必ず連ドラを見ていたものだが、こうも人間は変わるのだなと最近は思う。久しぶりにテレビを見ていると、全然満足感が得られないことに気づく。その番組が悪いのかなんなのか、よくわからないけれど、何もせずにボーっと視覚と聴覚だけを使っていることがちょっと無意味な気がしてきた。あんなに好きだったテレビにそんなことを感じるなんて・・・どうしちゃったんだろうと自分でも驚いてしまう。テレビという安易な方法では、私の何かは満たされないようだ。きっと、私の中の心の隙間はとても大きいのだと思う。テレビだけではきっと、子供がお父さんのTシャツを着ているようにぶかぶかなんだろうなぁ・・・と思うとなんだかちょっとせつなくなった・・・(つづく)。