それからの何日間は、これで良かったんだと思う日と、やはり何か他に手段があったのではないかという日が交互にやってきた。同様にスッキリしたと思ったり、私ってダメダメだと思ってみたりした。訳もなく悲しくなったり、すごく自由だと思ったり、本当に日によってちぐはぐな感情を私は抱いていた。それでも、多分、なんとなくだけど、まだ何かは残っていると思っていた。それは具体的にはわからない。私の彼に対する思いかもしれないし、期待かもしれない。それが何であるにせよ、まだ私の中に「何か」が少しでもあるような気がしたし、私はそれが失われ身軽になることを望んでいながらも、一方ではそれを失ってしまうことを恐れていたように思う。
そんなときに、私はブログを通じてある人と出会った。その人は、時々私を励ましてくれた人であったし、私のブログの一読者でもあった。その人は「終った」と言う結末に対し、最初にこう言ってくれた。「これで良かったんだ」と。どんな言葉よりもそれは私の心に響いた。どんな言葉よりもその時の私の胸をジーンと打った。自分でも肯定できなかった。しちゃいけないと思っていた。正解なんてない。何が正しいかなんて、誰もわからないし、私の当時のブログには詳細は描かれていなかった。なのに、そう言ってくれた。その一言で私は何だか肩の荷を一つ、床にズシンと降ろせた気がした。
彼とこうして切れたのも、その人の助言による所が実は大きかった。こんなにわかりやすく彼が自分を露呈してもなお、私はどこかで彼に希望を持っていたように思う。いい所は一つぐらいあるはずだと、見つけられないだけだとそう思っていた。それと同時に、私は自分の中に僅かに残っている「何か」を疑いもせず、ずっと強く握りしめていたように思う。この中にあるんだよと、この中にはすごく小さいけど、まだ何かがあるんだよ・・・と拳を握っていた。でも、その人は私に言った。もう何も残ってなんかいない。もうそこには何もないんだって、私に冷たく言い放った。私はもちろん、それに同意できなかったし、それを知ってしまうことも、拳を開いてそれがどこかに転げ落ちてしまうことも怖かった。開いて空気に触れてしまえば、それだけでなくなってしまうくらいそれが小さくて、か細いものだということはわかっていたから。
だけど、その人は多分、それじゃあ良くないって知っていたと思うし、知るだけじゃなくて、こんな私を何とかしてあげようと思ってくれたのだろうと思う。その人が私にしてくれたことは、比喩的に言うのなら、私の硬く握ったその拳の指を一本一本、時間をかけてほどいたことだった。怖くなんてないから、大丈夫だからと何度も私に言い聞かせてくれた。その言葉によって少しずつ緩んでいく私の拳を、その人は静かにやさしく開いてくれた。指を一本一本確かめるように。でも、その作業は、徐々に私を悲しくさせた。自分でも見えてくるのだ。拳の中には、もう何も握られていないってことが。小さくか細い何かも、もう何にもないんだって事が、わかっていくことがたまらなくせつなかった・・・。
そしてその人は、開いた私の手の平を見てこういったんだ。「何もなかったろ」って。何もなかったんだって。だから何も守る必要もないんだって。もう力を入れて握る必要もないんだって、そう私に教えてくれた。その事実は、私にとって哀しい現実だった。でも、それは必要な哀しみだったし、こうして誰かの手を借りない限り、私は多分、ずっとその拳を今でも握りつづけていただろうと思う。
・・・そうして、私は何もかも手放した。彼とのつながりも、彼への期待も、希望も、幻想も何もかも。だけど、それとは引き換えに、私は、ため息を深呼吸に替えることができるようになっていった。もちろん、そう簡単に傷が癒える訳じゃない。風にさらされれば、時々キリキリと痛んだし、食堂でデブを見れば彼を思い出しそうになったりした。だけど、もう元気になろうと思った。その人が、どこかで私を見てくれていると思ったし、私には現実的にたくさんの友人もいた。何より関わっている患者さんには、元気な私でないとダメだと思って、それを励みに元気になろうと努めた。
・・・それから4日後の週末、私はふと、文字をパソコンに書き綴った。きっと書くことで、何かを埋めようとしたのだろうと思う。ベクトルは確実に上を向きつつあったが、今までのポテンシャルとの歪みは、私の中で拭いきれず存在していたように思う。さてさて、それは、どんな胸の内だったのでしょうか・・・(つづく)。