すっかり日の落ちた午後19時過ぎ。雨のせいか、外は一層暗く感じた。・・・ルルルルル・・・ルルルルル・・・・。さっきと違う電話の呼び出し音。非通知制限は外れたようだ。雨上がりの闇に、その音がやたら大きく感じられる。・・・4回のルルル・・・の後に彼は出た。
「もしもし・・・」
一気に気分が萎えた。だって、彼の声は完全に余所行きで、それは死ぬ死ぬ言う人の声どころか、恋する男のウキウキ声だったのだから・・・。
―もしもし・・・
と応答する私。私の声は彼へ感じた何十回目かの絶望を如実に示していたと思う。か細い声ではない。低く尖った声だ。
「・・・えっ・・・だれぇ?」
ちょっと甘えたような甘ったるい声。
―わからないんですか?
「うん、わからない・・・」
オイオイ、声まで忘れちゃったのか?
―本当にわからないんですか?
「う—--ん・・・えぇ・・・・誰だろう・・・・??」
―へぇ・・・忘れるもんなんですね。
「誰だろう?えー、わかんないよぉ~、ホントにぃ~。誰なの~」
―考えてみてくださいよ。
「う~ん・・・・。わかんないな。でも、いいや、もうそんなこと、どうでもいいや・・・」
―どうして?
「今日、どうせ俺、死ぬから。もう、病院でもいじめられてるし、メールでもいじめられるし、
本当にね、辛くて生きていけないよ、もう・・・」
―本当にいじめられてるんですか?
「うん。」
-どんな風に?
「もうそんなこと、話したくもないよ。とにかく、もう生きるのが辛いの。病院もやめる。
こんな病院、もういても何のたのしみもない。」
-じゃあ、患者さんはどうなるんですか?
「そんなことまで考えてられないよ・・・」
-そんなことまでって、それが仕事でしょうが。無責任なこと言わないで下さいよ。
「俺なんか、診ない方が患者にとっても幸せかもしれないじゃん。俺が診たってどうにも
ならないよ。俺は今まで、たくさんの患者を救ってきたんだから、いいだろ・・・。」
-いいということにはならないと思います。
「なんでそうやっていじめるの?」
-はぁ~。いじめているわけじゃなくて、そう思うから言ってるんです。
「もういいよ。俺の味方なんて誰もいないんだ。誰も俺の事なんかわからないんだ。
もう、俺、苦しいの。死ねば楽になる。死んだっていいでしょ・・・」
-死んだら、病院にも患者にも迷惑がかかりますよ。
「いいよ・・・んなこと・・・だっていいの!」
-何言ってるんですか・・・
―あの、なんか電波悪いんですけど・・・
「そっちが悪いんじゃないの?」
確認してみる・・・。私の携帯はMAXな状態。
―こっちは3本立ってますよ。そっちなんじゃないですか?
(あんな山の上、電波入らないよね~。こっちだって山の上みたいなもんだけど、電波はバッチリ入るから)
「えっ・・・プチプチ・・・・そっ・・・プチプチ・・・じゃないの?」
-はぁッ?・・・何言ってるのか・・・わからないんですけど・・・
あーん、せっかく電話しろって言ってるから電話してんのに、何なのよ、コレ。だから、ママ専用電話のメーカーは嫌なのよって思う。この電話会社は田舎に弱い気がする。
「・・・・・、ん・・・・・・・・・で・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
はっきりいって、会話にならなかった。で、一回、切ってみた。そして、再度かけてみる。それでも、うまくつながらなかった。3分ほど経って、もう一度かけてみると、つながった。
―やっぱりそっちが悪いんじゃないですか?
開口一番、私はそう言った。すると彼は、
「電波の問・・・じゃ・・・いよ。俺達、つなが・・・いんだな。それとも、そっちに伝えようとする意志が
ない・・・つながんないんだよ。気持ちの問題・・だよ・・・」
-はぁっ?何言ってるんですか?・・・全く理解できないんですけど。そっちの環境が悪いから電話がつながらない。ただそれだけです。物理的な問題です。
全く、自分が電波の悪いところで話しているのを、私の気持ちがつながらないから電波障害が起きてるだなんて良くもまぁ、人のせいにばかりできるもんだと思う。
「もう・・お・・・プチプチ・・・・ダメだな。」
-聞こえないんですけど・・・。
その後も全然会話にならず、電話は不通のまま切れ、一向につながらないので、私は屋上を出て、研究室へと戻った。信じられないって思った。こんな最後になるなんて・・・。こんな良くわからない会話で終るだなんて。彼は、最後の最後まで私を責めた。つながらないのは、私のせいだと。でも、どこか余所行きの声で。彼は、やはり私に期待していたのだろうと思う。新しい恋を確実に予感していたのだと思う。死ぬ死ぬいう男に恋する女などいるのだろうか・・・と半ば呆れながらも思う私。彼は、自分を魅力的だと、多分、微塵も疑っていない。自分がすること、いうことは全て正しく、あるいは全てかわいらしく、全てにおいて許されることだと思っている。だから、私がそんな彼を見て、「私は〇〇さんが好きなの。だから、死なないで」ということを期待していたのかもしれない。とにかく、まともに話もできず、よくわからないまま会話は終った。もう勝手にして!って思った。そう思いながらも、何だかなぁ・・・と言う思いもあり、私は非通知のまま10分おきに2回、彼に電話をかけた。それでも、電話はつながらず、「もしかして、無視されてる??」とすら思えてきて、腹立たしくなりながらも、私はメールを書くことにした。それは多分、電波もおそらく気持ちも、こっちは拒否ってないわよという一つの表明だったのだと思う。
さてさて、それはどんなメールだったのでしょうか・・・(つづく)