世の中、会議が多く存在すると思う。というか、ありすぎじゃないかとすら思う。会議というのは、実は見えない脚本があると私はいつも思っている。ある程度馴染みある人たちの中でありながらも、全体会議という異分野の人も数多く出席する会議の場合は特にそうだ。そして、会議の風景を見れば、誰が有能であるかはすぐにわかる。有能な人がいない会議ほど、無駄なものはないと私は思っている。配役は、だいたい以下のようになっている。
A:出席しているだけ。聞くときもあるが、殆ど聞いていない。早く終らないかとそればっかり。
(これが一番多い)
B:議題に対して、ある程度発言をする。あるいは、真っ先に発言をする。寡黙な相槌に満足感
を得る。自分の活発さ、熱心さを上司に密かにアピールしている部分もある。
(これは少数派)
C:Bのような人が吠えている内容を逐一聞き、自分自身を一番アピールできそうな時に、いき
なりちゃぶ台をひっくり返す。本当にそれでいいんですか?というような疑問を投げかけ、
その後にB派の聴衆を一気に自分のところへと導く。小さいことに吠えない分、なんだか発
言に厚みを感じてしまう。実はこういうタイプが一番、人の目を気にする。
(これも少数派)
D:有能な人(稀にしかいない・・・と思う)
だいたい、会議というのはAという集団の中に、BやCという少数派の人が混じっている形で行われる。会議というのは、「やった」「聞いた」「報告した」が大きな目的だ。そして、その承認が多くいることに意味があるとされているのだが、いつもは担当に分かれて作業しているため、一緒に集められても噛み合わない事が多いのが全体会議。
必ずそこで、これ見よがしにアピールするBという人や、Bという中にもちゃんと議題を聞いて、納得できない時にはきちんと意見を言う人もいる。そして、まとまりかけた所で、必ずといっていいほどCのような「そんなもんかね?」というような、積み重ねてきたものを0(ゼロ)に戻してしまう人もいる。
・・・そんなこんなで時間はノビノビになり、収集がつかなくなることも多いのが会議。そこで、司会者はおもむろに「〇〇さん、何かありませんか?」と振る。これがすなわちDだったりする。Dは自分から議題に向かって発言することは無い。時々目をつぶって、この人、寝てるんじゃないかってぐらい無関心を装っている場合もあるし、別な資料を見て内職している場合もある。でも、そこでいきなり振られて、Dは「つまり、***であるから、××だということで、いいんじゃないでしょうか?」と極めてシンプルで的を得ている答えをすんなり言う。それで今までの、BかCかという次元と、BでもCでもない、釈然としない何かが一気におさまり、時間的な問題もあり、みんなが妙に納得してしまう。そして司会は「では、そういうことで可決いたします」といい、長い会議に終止符が打たれるのだ。
Dという人が有能であるのは、もう会議が始まる前から、会議がどのように展開するのかわかっているところにある。B系の人が、こういう発言をして、C系の人が一旦それをリセットし、そして混乱している中、最後に自分に振られて終るということが最初から分かっているのだ。だから、途中なんぞ聞いてなくてもいいらしい。
でも、B系の人やC系の人、あるいはAの人は、そういう見えないシナリオに気がつかない。今日は〇〇さん、頑張ってた・・・とか、△△さんの意見も良かったんだけど・・・ということに目が行くのだ。そしてもちろん、B系・C系の人も、今日は俺がガツンといった。俺があそこでこれを言ったから決まったんだ・・・と、みんなそれぞれの満足感を得る。しかし、Dにとっては、それも計算済みだったりする。多くの人に「自分が決定した」感を与える事が、大事なんだそうだ。
私はこんなDさんを2人しか知りません。そして、Dさんは、自分がDだということをアピールしません。「能あるタカは爪を隠す」です。でも、Dの人というのは、本当に賢いです。私はもちろん・・・Aです。こういうことには、全くの無能・無関心です。
そして、こんなシナリオに気がついてからは、早くDに振って~・・・司会者の人~って思うようになりました。皆さんの意味不明な会議にも、きっとDさんはいると思います。探してみては如何でしょうか?